有名人の“血糖値番付”を調べたら…, ふわしゅわ食感がクセになる! 『ベイクチーズタルト』の新作「チーズスフレ」が魅力的, そのまま飲むだけじゃもったいない! 「午後の紅茶」を使ったアレンジティーレシピとは?. 0. 3月25日、26日放送の「2夜連続ドラマスペシャル アガサ・クリスティ そして誰もいなくなった」(テレビ朝日系)が遺作となった俳優の渡瀬恒彦。 3月25日、26日放送の「2夜連続ドラマスペシャル アガサ・クリスティ そして誰もいなくなった」(テレビ朝日系)が遺作となった俳優の渡瀬恒彦。15年夏頃から胆のうガンと闘病し、多臓器不全で今月14日に亡くなった渡瀬だが、ドラマでも肺がんの末期患者である犯人役を見事に演じた。, トリックを明かすビデオレターでは、狂気を感じさせる犯行動機を鼻に酸素吸入のためのチューブを装着した姿で「素晴らしい殺しなんだ」「これは芸術だ」と語った渡瀬。このシーンに視聴者からは「渡瀬恒彦の生き様を感じた」「現実なのかフィクションなのかわからなくなった」「命を削って演じるとはこういうことか」などといった称賛の声があがっている。, 「渡瀬自身の死と演じた役柄の死を重ねて見ることは渡瀬の本意ではないかもしれません。しかし、あまりのタイミングのよさに何か意味を感じてしまう人が多いこともうなずけます。ドラマ制作スタッフは口を閉ざしていますが、ドラマで使用された酸素吸入器は渡瀬の私物だったとの情報もあります。渡瀬の“リアル”と“フィクション”が絶妙に混じり合ったドラマだったと言えるでしょう」(映画製作関係者), 視聴率は第1夜が15.7%、第2夜が13.1%と高視聴率を獲得。最後まで俳優人生を貫いた渡瀬だった。, 関連記事:渡瀬恒彦を襲った胆のうガンの「怖い原因」 http://www.asagei.com/excerpt/77685, 「思うように外出できないし、友だちともなかなか会えない」「四六時中、家族と接していて息が詰まる」「在宅勤務だと仕事に集中できない」「残業がなく収入減で将来が不安」──会議に限らず、飲み会やデート、婚活まで、オンラインによるライフスタイルがニ…, ここ数年、急増している麻雀番組。昨今、超人気アイドルグループをはじめ、グラドル界からも麻雀にハマるメンバーが続々登場。彼女たちの間では「グラドル雀士枠」の争奪戦も展開されているとか。もはや可愛いさだけではなくプロとも渡り合えるガチな雀力が求…, “貧乏暇なし”とはよくいったもので、来る日も来る日も働きづめでストレスはたまる一方だ。暴飲暴食で食生活は乱れ、疲れがなかなかとれないばかりか、眠りは浅く熟睡もできない。こんな毎日だから朝から体がダルいし、集中力や判断力が鈍って仕事ではミスば…, 田代まさしは670mg/DLで収監ストップ!? 【日本版】そして誰もいなくなった第2夜|渡瀬恒彦の渾身の演技. 渡瀬恒彦さんのお兄さんの渡哲也さん…お亡くなりになりました 素敵な兄弟でした 私は十津川警部と9係が好きでした そして 『そして誰もいなくなった』 兄弟で共演した 『帰郷』 また一人 昭和のスターが亡くなって 寂しいです ご冥福をお祈り致します 渡瀬 恒彦(わたせ つねひこ、1944年7月28日[1] - 2017年3月14日)は、日本の俳優・歌手。本名同じ。, 島根県能義郡安来町(現・安来市)生まれ、兵庫県淡路島育ち[1]。東映マネージメント所属。兄は俳優の渡哲也、長男はTBSディレクターの渡瀬暁彦。身長174cm[1]、血液型AB型[1]。, 幼少期はガキ大将[2]だった。同じ小学校に通った同級生は「恒ちゃんは、ガキ大将で、けんかがものすごく強かった。友だちをいじめた相手に『何やってるんや』と向かっていき、兄貴肌で慕われていた」と懐かしんだ[3]。生誕した島根県から兵庫県津名郡淡路町(現・淡路市)に移り、三田学園中学校・高等学校卒業(6年間の寮生活)。中学三年で柔道黒帯[2][4]。高校時代は水泳部に所属。当時から同世代の女子に人気があり運動会には渡瀬目当ての女子学生が押しかけてきて大変だったという[5]。同級生の兵庫県議・野間洋志によると「常に夏目漱石などを読んでいた。難しい「乾坤一擲」などの言い回しや熟語を使い、国語の成績は270人中常に5番以内[6]」。また恩師によれば、当時から頭の回転が早くリーダーシップがあった[5]。また俳優かけだしの頃、三田学園の寮を何度か訪れ淡路の海を「昔はヤスで魚やサザエを取った」と懐かしんでいたという[7]。渡瀬曰く高校在学中は新聞記者に憧れていた[8]。, 三田学園高等学校卒業後、1浪の末中央大学・早稲田大学・慶應義塾大学に合格。尾崎士郎「人生劇場」にも影響され[6]、早稲田大学の法学部に入学[8]。当時青山学院大学に通っていた兄・渡哲也との共同生活が始まる[6]。空手部に所属し、二段の腕前だった[9]。またボクシングもやっていた[2] という説もある。, しかし、本人曰く「いい加減な学生」[8] で、当時の大学は学生運動全盛期で講義もなければ卒論もない。新聞記者になりたい夢はいつしか消え[8]、作詞家になりたいと詩をたくさん書いていた時期もあった[6] が、大学在学中はやりたいことも見つからないまま、仲間たちと「いつも何かねぇのかな」と語り合っていたという。だからこそ実社会に出たらハードな職種で、なおかつ時代の先端を行く仕事に着きたいと考えた結果、卒業見込み[10] で電通PRセンターに就職した。兄・渡哲也の「堅い道を進め」というハッパもあって電通に就職した[11]。しかし、研修期間1ヶ月で同社を辞め、先輩が作った青山の広告代理店「ジャパーク」に移る[4]。仕事は営業、渡瀬自身も会社員時代当時もよく働いていたと自負している。ジャパークで働いていた時、兄・渡哲也の知り合いが不動産屋を始めて急成長。宣伝スタッフがいないというので休日になると手伝いに行っていた。そこでたまたま東映の社員が居合わせ、「俳優にならないか?」と声をかけられる。最初は躊躇するものの、ジャパークの社長に相談すると、「絶対マイナスにならないから」と当時東映企画製作本部長だった岡田茂に会うことを薦められる[12]。ジャパークの給料もよく[11]、仕事も面白くなって来たところで、映画にまるで興味もなく[11]、兄から「芸能界は前近代的な職場だしラクじゃない。お前はふつうの堅い道を進んで欲しい」などと映画界入りに反対され[11][13][14]、自身も兄を東映に引き抜くための手段に使われているんじゃないかと懸念し[14]、100%断るつもりで岡田に会いに行ったら[4][13][14]、「とにかく俺にまかせろ」などと岡田に口説かれ[11][13]、岡田の人柄にすっかり魅了され、「こういう人がいる世界なら一緒に仕事をしたい。30まで人生預けてみよう。一発ためしにやってみるか」と即決で俳優転向を決めた[8][11][12][13]。岡田から「男が顔になってくるのは35歳だぞ。それからだからな」と言われた[15]。渡が芸名で活動しているのに対し、本名で活動し始めたのは、高倉健を意識した東映に「大倉純」という芸名を付けられそうになったが気に入らず、それなら本名の方が良いと申し出たことに由来している。, 1970年、石井輝男監督の映画『殺し屋人別帳』の主役としてデビュー[13]。外部から迎えた若手タレントで東映で主役デビューは大川橋蔵以来といわれた[4]。岡田から「やれ」の一言で、演技の勉強もなく京都に来て監督の石井と同じ部屋に泊まり、毎朝監督と一緒に起きて撮影所に行き、出番の有無に関わらず終わりまで撮影に付き合う毎日だった[11][16]。しかし、デビュー作の演技を渡瀬曰く「そりゃそうだ、昨日までは素人だったんだから」と開き直っても、根がマイナス思考のため、凄まじいまでの酷さとひどく落ち込み、間違った世界に来たのかと思ったが、悩む暇がないほど次から次へと仕事が舞い込んでいったという[8]。デビュー当時の渡瀬はやんちゃでとにかく熱く突っ走っていたと大勢の映画関係者が証言しているが、渡瀬と旧知の仲だった東映・奈村協もその1人。奈村は1972年工藤栄一監督『かげろう忍法斬り』で体を壊した兄・渡哲也の代役を任された時が初対面。東映京都撮影所駐車場で当時の愛車だったフェアレディ240Zを使ってスピンの練習をしていたり、当時東京から京都まで新幹線で3時間15分でかかっていたが自分なら車で新幹線より早く東京に着けると豪語していた[17] という。「現場では10代の新人でも70、80歳代のベテランでもみんな同じライバル」[8] という渡瀬にとって、錚々たる俳優の中で唯一競争できる要素が「アクション」だった[8]。, そんなやんちゃで熱い渡瀬を東映京都撮影所でも次第に認められ、中島貞夫、工藤栄一、深作欣二、山下耕作といった監督を始めあらゆる人から「恒さん」と呼ばれるようになった。東映京都撮影所では若い人を通常「○○ちゃん」、「○○ぽん」と呼ぶため渡瀬の「恒さん」は別格だった[17]。, 中島貞夫は渡瀬が演技に開眼したのは「現代やくざ 血桜三兄弟」(1971年)における荒木一郎との出会いと話している[18]。ある三兄弟の末弟を演じた渡瀬が、もぐらと仇名される気弱な男を演じる荒木一郎と不思議な友情で結ばれるあるシーン。2人には長回しするからと事前に伝えてあったが、どちらが言い出したのか2人だけでリハーサルを行っていた。妙にウマも合ったのか、演技にはうるさい荒木の影響を受けて、それまでのただ生身をぶつけるような演技から変貌を遂げた[19]。, また常に新しいことに挑戦しようとする気構えもあった。中島貞夫が東映での監督生活が10年近くが過ぎ、一部の映画作家には「低予算ながら企業の制約なしに好きな作品が撮影できる」理由で人気があったATG作品として『鉄砲玉の美学』(1973年)に挑戦してみることにした。それでも1000万という予算は苦しかった。撮影の費用は工夫を重ねて切り詰めたが、キャスト費をどう捻出したらよいか。そんな折だった。何処で聞きつけたのか渡瀬が中島に付きまとい始める。「ねぇ、何かやるんだって」「俺やるよ」。渡瀬は撮影所のスタッフルーム、中島の自宅にも押しかけて出演を直談判した[20]。作品の内容(従来の義理と人情ばかりの紋切り型ではない、いわゆる格好悪いヤクザを描こうとしていた[21])製作方式、そしてまともにギャラが払えぬと監督の中島が渡瀬が作品への出演を断念するように説得した。しかし渡瀬は諦めることなく「ギャラなんかどうでもいいから俺にやらせて」と猛烈に売り込み、中島が「じゃあついでにあんたの車をロケ地に持ってきて劇用車に使わせてくれるか」と渡瀬に伝えると渡瀬は「いいよ」と答えた[20]。撮影は宮崎県。宿はタイアップした都城市の旅館の大部屋でスタッフ・キャストの区別なく大部屋でゴロ寝。そこで10日あまり撮影で過ごし、中島はヤンチャで喧嘩早い渡瀬が細やかな気配りができるか目の当たりにした[20]。, 1976年の「狂った野獣」では中島が当初「まがりなりにもスターなんだから顔に怪我させられない」と横転するシーンのみスタントを使うことを主張するが、渡瀬は大型バス運転免許を運転教習所が驚くほどの早さで取得し、中島に「どうしても俺がやる、そのために免許を取ったんだ」と訴え、自らバスを運転し引っ繰り返す命がけの撮影に挑んだ[12][22](渡瀬の盟友ピラニア軍団もバスに同乗したが、本音は「横転するバスになんか乗りたくなかった。でも、世話になっている渡瀬の手前断れなかった[22]」という)。中島は当時の渡瀬を「飛び立つヘリコプターにぶら下がったり、運動神経がとにかく抜群だった[18]」と絶賛する。だが、次第に中島は渡瀬が運転に関して自信過剰になっていると危惧する[22] が、渡瀬のアクションはどんどん過激になっていく。「暴走パニック大激突」(1976年)では200台もの車やバイクが衝突するクライマックスシーンの撮影時に出演者の中でたった1人ノースタントを志願。自らハンドルを握り、対向車に飛び込んだ[2]。, 「現代やくざ 血桜三兄弟」(1971年)、高田宏治に「あんなハチャメチャなヒロポン中毒の殺人鬼は彼しかできない」と言わしめた[注釈 1]「実録・私設銀座警察」(1973年)[6]、小林旭と壮絶で悲劇的な兄弟の殺し合いを繰り広げた『唐獅子警察』(1974年)、梶芽衣子と日本版ボニー&クライドを演じた「ジーンズ・ブルース 明日なき無頼派」(1974年)などデビュー以来渡瀬は底辺でもがくアウトローを演じ続けてきた[18]。しかし、1977年「北陸代理戦争」の撮影中渡瀬が運転ミスでオープンジープから投げ出されて、ジープに足を潰され生死の淵をさまよう大怪我を負い降板[22](代役は伊吹吾郎[23])。監督・深作欣二と脚本家・高田宏治は責任を感じ、渡瀬の病室を見舞った。麻酔が効いて眠り目が覚めるとその度に枕元に深作がいた。「こうなっちゃ仕方ないよ」と逆に深作と高田を慰めた[23] という。自分の人生を考えるというよりも、振り返る感覚もなく、ただ「久しぶりに何もない時間があった」[24] この時の大怪我が元でアクション俳優から性格俳優へと転向する[18]。渡瀬自身も後年「結果的には役の幅が広かった」と述懐した[17]。, 私生活では三本目の映画『三匹の牝蜂』で共演した大原麗子と1973年結婚したが、1978年離婚している[25]。, 渡瀬は2009年当時のインタビューで、東映以外の映画会社(松竹)初出演作になった1978年『事件』で、ブルーリボン賞・日本アカデミー賞・キネマ旬報等助演男優賞を受賞したことが自分にとっての大きな転機になったと話している。しかし、その当時は実感も感慨もなかった[24]。同年、松竹映画『皇帝のいない八月』でも、狂気を湛えた自衛隊元将校の反乱分子を演じた。1979年には松竹映画『震える舌』『神様のくれた赤ん坊』でキネマ旬報主演男優賞を受賞した[26]。, 小林信彦が「唐獅子株式会社」の映画化に渡瀬が乗り気で、小林が渡瀬の自宅まで出かけたことがあった。だが、松竹ではやくざ映画は不可能で後年小林は大変惜しいことをしたと述懐している[27]。, NHKのテレビドラマ『おしん』では、並木浩太役として出演し、おしんの1918年米騒動当時、山形県酒田時代の初恋の相手でありながら、おしんの仕えた「おかよ様」との間で三角関係に置かれ、「おかよ様」が亡くなった後も、ひとりおしんを陰から見守り続け、おしんのスーパー店主としての1956年の再起を支援し、最後にはそれが息子の独善的な経営指針によって破綻していくまで、老女となったおしんを見守る男性役を務めた。, 「セーラー服と機関銃」では、現場入り朝9時から撮影開始深夜0時まで薬師丸ひろ子へひたすら集中力を磨くために三國連太郎と共に繰り返し稽古をつけていた[28](2016年7月22日放映「スタジオパークからこんにちは」ゲスト薬師丸ひろ子より)という。また薬師丸が機関銃を撃つシーンでガラスが飛び散り、薬師丸の顔が負傷した際、周囲は「すぐ治るよ」と楽観する中渡瀬だけが「自分の娘だったらどうする」と薬師丸の怪我を心配した(セーラー服と機関銃 (映画)#薬師丸負傷参照)[注釈 2]。, 1990年代バスクリンのCMに出た事が自身の幅を広げてくれたと2014年当時のインタビューで語っている。コミカルなCMソングと共にお風呂から勢いよく出てくる演出は、それまで銀幕の大スターでシリアスな役どころが多かった渡瀬が、子供から大人まで認知度をあげるきっかけになり、お客さんとの距離が近くなった[30] という。, 存命中本人の口から語られることはなかったが、ごく一部の人間のみが知る事実として1994年脳梗塞を起こした際、左手に軽い障害が残ったといわれ、それが従来の屈強な渡瀬のイメージと併せ人間味が溢れる類まれな存在感が出てきたきっかけと見られる向きもある。脳梗塞をきっかけで「最高の仕事をするために」煙草をスッパリやめ、酒は適量なら血流にいいと言われる赤ワインだけにした。連日のように1時間歩き、趣味のカメラで道端の花を撮影していた姿が目撃されている[31]。, 『忠臣蔵外伝 四谷怪談』(1994年)など話題作の映画にも出演していたが、1992年から主演を続けてきた『十津川警部シリーズ』や『タクシードライバーの推理日誌』など次第にテレビドラマへの出演本数が多くなる。, 2002年からは渡瀬がデビューした東映京都撮影所で制作された「おみやさん」がスタート。, 2007年度下期の連続テレビ小説『ちりとてちん』では、かつて「上方落語界の四天王」と呼ばれた徒然亭草若を演じた。, 2006年からは『警視庁捜査一課9係』シリーズがスタート。松本基弘プロデューサーによれば「『ER緊急救命室』みたいな群像劇をやってみたかった。『土曜ワイド劇場』の枠で『警視庁捜査一課強行七係』(2005年)を作ったが2時間ドラマでは群像劇にはならないことがわかった。その時上層部から『相棒』をやらない時期にやる新たな刑事ドラマを考えろと言われたので、七係の反省から『警視庁捜査一課9係』の企画を出しました。事件を解決するだけではなく、レギュラー刑事たちのプライベートも描く群像劇で、主人公が必ず中心になるわけではない、ある意味チャレンジの企画なんですがいいですか?と尋ねたら、「おもしろそうだからいいよ」と。昼行灯みたいな係長・加納倫太郎の立ち位置をよく理解して、企画に乗ってくださいました[36]」, 2012年には『おみやさん』などの主演が認められて、第20回橋田賞受賞。「褒められるとすごく元気が良くなります。僕は人が褒めるのが下手で、家でも仕事場でも人を褒めない。たまに褒めるのは犬だけ。これからは褒めるようにしたい」とコメントを残している[42]。, 2015年8月末、体調不良を訴え受けた検査で胆嚢に癌が見つかった(当時も調子が良くなかったと思われるが、8月2日に大原麗子の七回忌法要に参列[43] していたことが確認されている)。余命1年の告知を受け、都内の大学病院で5ヶ月間、手術ではなく抗癌剤の投与と放射線治療を受けた。その後も入退院を繰り返しながら、少しずつ仕事をこなしてきた。その間も高額な抗癌剤を試そうとしたり、がん専門病院で特別な放射線治療を受けようとしたが、転移のため叶わなかった[44]。自身が癌に侵されていることは、「あえて自分から話すことではないと思った」という理由[45] で、2016年5月26日発売の「女性セブン」が報じるまでは公にされなかった。, 「9係」プロデューサーの松本基弘には2016年の11シーズン終了後に渡瀬自身から癌であることを伝えられた。しかし松本は治療すれば必ず良くなると信じていた[46] という。どんな体調が優れない時でも「俺はやる、とにかく現場に戻るんだ」という意欲を燃やし[47]、2016年に入ってからは血流を良くする気功術を導入した[44]。, 病魔が渡瀬の体を蝕み、2016年6月から8月に撮影された「おみやさんスペシャル2」では、6月親友の成瀬正孝が陣中見舞いに訪れても調子が悪いながら一緒に食事へ行くなどの気遣いを見せる余裕があったが[48]、7月には隠し切れないほどの体調悪化で撮影が続行できるか一時検討された。しかし撮影途中から妻が京都に駆けつけ献身的に支えたことで撮影を乗り切った[49]。松本基弘によれば『おみやさんスペシャル』の後に『タクシードライバーの推理日誌』新作撮影予定だったが、体調を崩したことを考慮し延期して静養に努めた[46]。, 遺作となったテレビ朝日系列のスペシャルドラマ『そして誰もいなくなった』(2017年3月25日・26日放送)への出演を藤本一彦プロデューサーが渡瀬にオファーしたのは11月。藤本によれば、最初は別の役を依頼するつもりだったが、準備稿を読んだ渡瀬が犯人の磐村兵庫役をやりたいと話した[46] という。, 渡瀬の直筆で毎年宛名から文面まで律儀に書かれていた年賀状が、2017年には「賀春 おめでとうと、ありがとうを申し上げます」と健筆で書かれていた[50]。2016年までの年賀状とはちょっと違うことに気づき、文面に込められた渡瀬の思いに井上茂は心がざわめいたという[50]。, 『そして誰もいなくなった』の撮影は、2016年12月24日から2017年2月12日まで続いた[51]。クランクインで渡瀬は「皆さんご存知だと思いますが、私は癌です。それでもこの役を全うしたい」と挨拶した[46] という。撮影の際には風邪が蔓延しないように全員がマスクを着用、照明のセッティング待ちがないように照明なしのカメラを用意し、出来るだけロケの回数を抑えるために、藤本プロデューサーは監督の和泉聖治へ工夫するよう指示した[46]。最後に磐村が犯行を告白する13分間の独白シーンは、渡瀬の負担にならないよう通常は現場で行うカット割りを和泉は事前に作業した[46]。移動は車椅子、撮影の合間には酸素吸入器の管を鼻から挿入して、命を削って容態が急変する前まで撮影を終わらせた[44]。, 3月2日の制作会見では、渡瀬は「スケジュールの都合」で欠席だったが、共演者の津川雅彦[注釈 3] によれば共演者は癌に侵された渡瀬を気遣い労わったという。そんな渡瀬は誰よりも早く現場に入るので、つられて共演者も現場に入るのが早くなったという現場の様子を明かした[52]。, 1月25日には警視庁捜査一課9係の取材で、テレビ朝日で(最後のマスコミ個別対応になった)サンケイスポーツの取材に応じた。その時も鼻には酸素吸入器をつけてはいたが口調や足取りはしっかりしていたという。その際、記者へ「『9係』は僕にとって『やらせてください!』と言いたい作品なんです」と力を込め、同作品への並々ならぬ思い入れと役者魂をぶつけた。だが記者からの「ライフワークにしたいか?」という質問にひと呼吸して「生きていれば…」と声を落としたという[45]。2月19日、『警視庁捜査一課9係 season12』の取材会に力強い足取りで現れ、12作目になる本作の見所を話した。その際、「体調は良くない。現状維持という感じ、食欲はないけど一生懸命食べている」と自身の体調を包み隠さず話し、会見に同席した羽田美智子が涙ながらに感謝を伝えると、渡瀬も背中を叩いて羽田へ感謝を伝えた[53]。しかし、渡瀬が生前公式の場に登場したのは、この日が最後になった。, 2月中旬に左肺の気胸を発症し入院治療を行うも、3月に入って敗血症を発症。しかし現場に戻る執念は衰えず、一般病棟にいる時から『警視庁捜査一課9係 season12』の台本を持ち込んで台詞を全て覚えていた[54]。死去の前日にはマネージャーと『警視庁捜査一課9係 season12』の打ち合わせをこなし、「今月から撮影だ頑張ろう」と自らを鼓舞していた[44] という。しかし3月14日、細菌が血液を通じて全身を巡り容態が急変。病院に駆け付けた妻と長男と長女の家族3人に看取られ、同日23時18分、胆嚢癌による多臓器不全のために東京都内の病院で永眠。72歳だった[44][55]。, 初めて渡哲也が東映京都撮影所に訪れた1972年、弟の思い出として「幼少時代、みんなが止めるのも聞かずに1度に犬4匹を連れて散歩しに行って案の定傷だらけになって帰ってきたこと」を東映・奈村協に話している。やんちゃで責任感があり根性がある弟を一番理解していた[16]。渡瀬曰く子供の頃はケンカはもちろん、勉強もスポーツも渡瀬の方が上回っており、渡は「恒彦の兄」と言われていた。しかし、兄が俳優になると形容詞が逆転し「渡哲也の弟」と言われるようになる[94]。だが、そんな兄の芸能界デビューを後押ししたのは弟だった。予備校時代、浅丘ルリ子主演『執炎』の相手役募集を新聞で読み、青山学院大学の空手部の仲間と共謀して内緒で写真と書類を送った。何も知らない兄はカンカンだったという>。また兄のアパートに来る悪友たちとトリスバーに通った。, やがて渡瀬も渡を追って俳優になり、1971年〜1972年NHKドラマ『あまくちからくち』[95] で双子の兄弟役共演、以降は宝酒造「松竹梅」CMで兄弟共演はあったが、映像作品では2011年TBS『帰郷』まで40年間、2度の別作品オファーを渡が断っている[96]。渡によれば「兄弟でやるのが照れくさかったんです[97]」とのこと。担当プロデューサーによれば、渡瀬に企画を持ちかけ10年前から水面下で進行していたが渡瀬が渡に「我々に残されている時間は少ない。オファーがあるうちにやろう」と電話をかけた事が決め手となった。当時渡は石原プロモーションの社長を退き、演じたい作品に出られる環境になったことも理由のひとつという。2011年当時渡・渡瀬共に「兄弟共演はこれが最後」と公言していた[96]。2011年12月5日制作会見で、渡は「40年前は私もうまくなかったが、私以上に(渡瀬が)うまくなかったので、心配してた思いがある」と40年前を回顧し茶化しながらも「自分を遥かに超えるいい俳優になった」と渡瀬を称えた[98]。2009年当時のインタビューで、渡瀬は「兄は俳優という範疇を超えている。石原裕次郎さんもそうだけど、努力なんかで追いつけない他の人にはない何かを持っている」と渡を称えており[94]、2011年にはお互いを尊敬する兄弟になっていた。しかし、最後の兄弟共演発言から「またチャンスがあったら共演したい」と翻意するほど渡瀬は前向きだったが渡は「遠慮させて頂きます」とやんわりと断っている[98]。, そんな渡瀬に『十津川警部シリーズ』第1作目から全作品に携わった森下和清プロデューサーから10作目付近から構想し続けた兄弟共演を50作目記念で実現させたい旨を明かされる。「難しいよ、2度とないって言っていたし兄貴は頑固だから」と言いながら渡に電話。渡は「世間的に(共演は2011年が)最後って言っちゃっているからまずいよ」と固辞。それでも渡瀬は諦めず渡の自宅に1ヶ月以上足を運び、渡の首を縦に振らせた。渡は「50作目に力を貸してほしいと恒彦に言われ、引き受けました。20年以上続くのは素晴らしいこと。伊東四朗さんと恒彦と他の出演者の方々、スタッフのたゆまぬ努力があったことと思います」とコメントした[99]。, 2作品の共演を経て、2014年渡瀬は渡と距離が密に戻ってきた[100] と話している。また『警視庁捜査一課9係』に「兄貴(渡)を特別ゲストで呼びますか」とも発言していた[40]。渡瀬と親友の間柄だった江藤潤も「若い頃は渡瀬の口から渡の話を聞くことはなかったが、ここ数年渡のことを話すようになった[92]」と証言している。, 2015年以降渡は急性心筋梗塞で入院のちリハビリを続け、渡瀬が2015年夏から胆のう癌で闘病生活に入ってからも渡瀬はたまに渡の自宅を訪れお互いの体調を気遣い励ましあっていた[101]。しかし、渡瀬の死で兄弟は永遠の別れを迎える。渡は悲しみをこらえ、生前渡瀬が出演へ執念を燃やした『警視庁捜査一課9係 season12』に出演できない無念を代弁した[60]。, なお渡瀬は渡が率いた石原プロモーションと一緒に阪神・淡路大震災当時の炊き出しにも参加している[7]。渡瀬は兄率いる石原プロモーションと合流し、故郷の淡路島や芦屋市に駆けつけて炊き出しを実施。カレーや焼きそばを振る舞って被災者を元気づけた[102]。96年、神戸復興チャリティイベントにも兄弟で参加[103]。, また、1991年渡が直腸がん手術後渡瀬はマスコミ200人以上を前に記者会見を行い、あらゆる質問に毅然と答えた[91]。渡と親交があるビートたけしが渡瀬の死を悼んで、渡のがん出術当時のことを回想し「渡さんが大腸がんになったときに、渡さんが『人工肛門になるんだったら、おれは手術しないで死ぬ』と言ったら、それを渡瀬さんが『手術しろ。恥ずかしくない。生きるべきだ!』って説得したんだ。それを渡瀬さんが先に死んじゃうなんてね。ヤクザとけんかするほど暴れん坊だったのにな[104]。」, 渡瀬は生前2回結婚している。1度目は大原麗子(1973年〜1978年)。悪ぶっていたデビュー当時の渡瀬に、ある俳優仲間が“大原麗子クラスのスター女優に言うことを聞かせるぐらいじゃないとダメだ”と吹き込んだことがあった[6]。そのため『鉄砲玉の美学』や『狂った野獣』でタッグを組んだ中島貞夫が住んでいる京都の家へ大原麗子を伴って現れ、「結婚するので嵯峨野に家を探している」と相談されて中島は大変驚いた。当時、渡瀬はピラニア軍団の親分的立場とはいえ、トップスターの大原麗子とは明らかに「格差婚」だった[105] という。また大原が姉と慕っていた浅丘ルリ子の元にも2人は挨拶へ出向いている[106]。大原麗子の実弟によれば「お互い一目惚れだが、特に大原麗子が渡瀬を好きになった」という。結婚当時姉の運転手をしていたが、完全に2人の世界に入り込み、車の中で渡瀬は膝の上に大原を乗せて甘えていた[6] という。また子宮外妊娠で手術を受け、大原は渡瀬から輸血されたこともあった[107]。, 渡瀬の実父が死去し、渡瀬が母を引き取ったことでいわゆる嫁姑問題が生まれ、渡瀬が売れっ子になり自宅にあまり帰らなくなったことで夫婦に溝が生まれ口喧嘩が増えていった。離婚の1年前、夫婦関係の亀裂は深まり、大原は渡瀬の浮気を疑ったとされている。実際、渡瀬は浮気してなかったが大原はセックスを拒否するまで疑心暗鬼は深まった。欲求不満になった渡瀬は家政婦にも言い寄った[6][注釈 4] という。1978年離婚、渡瀬の親友だった江藤潤は傷心の渡瀬を支え「直後はショックが手に取るように分かった。当時、一緒に飲みに行くと、いつもどっぷりと落ち込みながら痛飲していた」といい、めったにやらないカラオケにも付き合った[105]。, 離婚後、仕事では円熟期を迎えていた渡瀬だが、大原は少しずつ時代に必要とされなくなり仕事の本数が減っていく[108]。そんな折、(当時)十津川シリーズ・プロデューサー森下和清が「(2004年シリーズ33本目で)大原に出てもらいたい」旨を渡瀬へ伝えた。すると渡瀬は「俺はいいけど、奥さんに聞いてみるわ」と答え、妻は「そんな小さいこと忘れているからいいわよ」と答えてくれたのが後押しになった[109]。また渡瀬は仕事が減少していく大原を気遣ってオファーしたともいわれている[108]。常々、大原は「(渡瀬とは)嫌いになって別れたわけではない」と話していたのでオファーを喜んで受けた[108] という。撮影中、渡瀬は自分の出番がなくてもマネージャーのように大原へずっとついて[109]、撮影も順調に終わった。だが、オンエアを見て大原の表情が変わった。「(2つ年上の渡瀬と並んで)私のほうが老けて見える。悔しい!」大原は十津川が映像作品の最後の仕事になった[108]。, 大原は、2000年過ぎから心身のバランスを崩し、色々な人へ時かまわず一方的な迷惑電話をするようになり、浅丘ルリ子など仲の良い人は大原と絶交してしまう[106] が、渡瀬は大原から電話がかかってきても拒絶せず話を聞いたという。, 2度目は結婚当時元OLの一般人女性(1979年〜2017年)。渡瀬が公に語ることは少なかったが、渡瀬逝去後2017年6月7日『徹子の部屋』に出演した井ノ原快彦によれば子供2人が独立して巣立った後、妻と2人きりになり「二度目の恋だな」と井ノ原に妻への愛情の一端を語っていたことを紹介していた。1994年脳梗塞を煩ったことをきっかけに健康維持のため始めた散歩に付き添っていたことなど生前渡瀬が明かしている。特に晩年がんになってからは治療法について周囲と相談したり、がんで体力が落ちる渡瀬を気遣い、食欲が減退する渡瀬のために食べやすく栄養が取れる食事を作るなどして、渡瀬を支え続けた。そんな献身ぶりに渡瀬は「なぜコイツと一緒になったかわかった」と愛情と感謝を口にしていた[101] とされる。, 津川は渡瀬を「ちゃん」付けで、かつ自分が亡くなった時に葬儀を仕切ってもらいたくブログで「渡瀬ちゃんは僕の裏方の葬儀取り締まり」と公言する程信頼していた。あわせて渡瀬が2009年公開『, 直接渡瀬の名前は出してないが、佐藤は4月10日渡瀬の自宅へ弔問に行ったと思われるツィートを残している, https://web.archive.org/web/20170516165528/http://www.hochi.co.jp/entertainment/20170317-OHT1T50027.html, http://www.yomiuri.co.jp/local/hyogo/news/20170525-OYTNT50259.html?from=tw, “渡瀬恒彦さん死去母校からも惜しむ声 三田学園同級生ら悼む 女子学生が押しかけ/人の上に立つ資質 /兵庫”, http://mainichi.jp/articles/20170317/ddl/k28/200/456000c, http://www.dailyshincho.jp/article/2017/03310800/?all=1, https://www.daily.co.jp/gossip/2017/03/17/0010006371.shtml, “「9係」に出演して10年!39歳になった井ノ原快彦さんのバースデー 渡瀬恒彦コメント”, https://web.archive.org/web/20160328181856/https://www.tv-asahi.co.jp/9gakari_10/contents/news/0008/, 撮影所マイスター対談「渡瀬恒彦さんと東映京都撮影所」今までサラリーマンやっていた奴が、数日後に映画の主演やるんですよ(笑), 撮影所マイスター対談「渡瀬恒彦さんと東映京都撮影所」なんで役者さんがスピンの練習をしているんだ(笑), https://www.daily.co.jp/opinion-d/2017/03/17/0010009219.shtml, http://www.tokyo-sports.co.jp/entame/entertainment/663757/, http://news.livedoor.com/article/detail/12877041/, “病魔と闘う荒ぶる役者たちの不屈秘話 「第3回・渡瀬恒彦」(3)アクションに代役は不要だ”, https://www.daily.co.jp/gossip/2017/03/17/0010006373.shtml, TVでた蔵「2016年7月22日放送 13:05 - 13:55 NHK総合 スタジオパークからこんにちは 薬師丸ひろ子」, “【甘口辛口】渡瀬恒彦さん「最高の仕事」のために健康に留意…最期の最期まで手抜きを嫌った人生だった”, http://www.sanspo.com/etc/news/20170319/amk17031905000001-n1.html, http://www.nikkei.com/nkd/company/article/?DisplayType=1&n_cid=DSMMAA13&ng=DGKKZO15481680Z10C17A4EAC000&scode=9605&ba=1, http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20110428-767705.html, http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20110803-814743.html, http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20150207-1431374.html, http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20140627-1324480.html, http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2012/07/12/kiji/K20120712003660180.html, http://www.sanspo.com/geino/news/20150803/geo15080305020012-n1.html, http://www.sanspo.com/geino/news/20170317/geo17031705050011-n3.html, http://www.sanspo.com/geino/news/20170317/geo17031705020007-n1.html, http://www.news-postseven.com/archives/20170119_485631.html, “病魔と闘う荒ぶる役者たちの不屈秘話 「第3回・渡瀬恒彦」(1)キャリアの段差をぶち壊せ”, http://www.news-postseven.com/archives/20160825_442064.html?PAGE=2, http://www.oricon.co.jp/news/2088123/full/, http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2017/03/02/kiji/20170302s00041000280000c.html, http://www.sanspo.com/geino/news/20170219/geo17021905060007-n1.html, “渡哲也が涙…渡瀬恒彦さん家族葬 病室で「セリフ全部覚えていた」弟の役者魂明かす”, https://www.daily.co.jp/gossip/2017/03/18/0010010073.shtml, http://mainichi.jp/articles/20170316/dyo/00m/200/022000cl, http://www.hochi.co.jp/entertainment/20170316-OHT1T50074.html, http://www.hochi.co.jp/entertainment/20170316-OHT1T50100.html, http://www.news-postseven.com/archives/20170324_504445.html, http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/entertainment/news/CK2017031802000193.html, http://www.sanspo.com/geino/news/20170318/geo17031805050012-n2.html, http://www.nikkansports.com/entertainment/news/1794488.html, http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2017/03/19/kiji/20170319s00041000412000c.html, “渡瀬恒彦さん最後の撮影現場、仲間由紀恵に「本当にありがとね、いろいろごめんな」”, http://www.hochi.co.jp/entertainment/20170324-OHT1T50067.html, “渡瀬恒彦さんの未公開ドラマがあった!フジ「夏目連太郎の逆転捜査」24日放送決定”, http://www.hochi.co.jp/entertainment/20170317-OHT1T50136.html, “渡瀬恒彦さん遺作「そして誰もいなくなった」2夜連続放送で15・7%、13・1%の好視聴率定”, http://www.hochi.co.jp/entertainment/20170327-OHT1T50097.html, http://www.nikkansports.com/entertainment/news/1798831.html, http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2017/03/28/kiji/20170328s00041000131000c.html, http://www.sanspo.com/geino/news/20170402/geo17040205010014-n1.html, http://www.hochi.co.jp/entertainment/20170412-OHT1T50221.html, http://www.oricon.co.jp/news/2089083/full/, 「警視庁捜査一課9係Season12」(CASE1 かかし連続殺人(あらすじ・東映テレビ公式)), “羽田美智子:亡き渡瀬恒彦さんへの思い語る「魂がそこにいる」 ドラマ「警視庁捜査一課9係」に出演”, https://mantan-web.jp/2017/05/03/20170503dog00m200018000c.html, http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20080810-393850.html, http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2017/03/16/kiji/20170315s00041000581000c.html, http://www.zakzak.co.jp/hitorigoto/20060422.html, TVでた蔵「2013年9月9日放送 8:30 - 9:55 TBSはなまるマーケット」, “話題のTBS系ドラマ「小さな巨人」の演出担当を直撃 「半沢直樹に似ている」と言われているが(4頁)”, http://www.sanspo.com/geino/news/20170423/geo17042312000017-n4.html, “話題のTBS系ドラマ「小さな巨人」の演出担当を直撃 「半沢直樹に似ている」と言われているが(3頁)”, http://www.sanspo.com/geino/news/20170423/geo17042312000017-n3.html, 病魔と闘う荒ぶる役者たちの不屈秘話 「第3回・渡瀬恒彦」(2)タバコの火は自分でつける, http://career.oricon.co.jp/news/2003559/full/, http://www.bunkatsushin.com/varieties/article.aspx?id=1403, http://www.oricon.co.jp/news/2004397/full/, http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20130814-1172986.html, TVでた蔵「2014年7月9日放送 12:00 - 12:30 テレビ朝日徹子の部屋, https://www.news-postseven.com/archives/20170224_495913.html?PAGE=2, http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2017/03/16/kiji/20170315s00041000584000c.html, http://www.nikkansports.com/entertainment/news/1792904.html, http://www.hochi.co.jp/entertainment/20170117-OHT1T50184.html, TV出た蔵「2013年8月16日放送 19:57 - 20:54 フジテレビ 人生の正解TV〜これがテッパン〜大原麗子 孤独死の真実」, “渡瀬恒彦さん哀悼秘話、芸能界”最強の男”が10年以上通い続けた650円の支那そば(2ページめ)”, http://www.jprime.jp/articles/-/9307?page=2, http://www.hochi.co.jp/entertainment/20170316-OHT1T50180.html, http://www.news-postseven.com/archives/20170328_504691.html?PAGE=2=, http://www.hochi.co.jp/entertainment/20170316-OHT1T50165.html, “伊東四朗「山村紅葉 十津川警部・渡瀬さんとの思い出「25年間、あちこちの断崖絶壁で…」”, https://www.daily.co.jp/gossip/2017/03/16/0010005667.shtml, http://www.news24.jp/articles/2017/03/16/08356604.html, http://www.nikkansports.com/entertainment/news/1793000.html, http://www.nikkansports.com/entertainment/news/1793181.html, http://www.nikkansports.com/entertainment/news/1793043.html, http://www.nikkansports.com/entertainment/news/1793528.html, http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2017/03/16/kiji/20170316s00041000400000c.html, http://www.hochi.co.jp/entertainment/20170316-OHT1T50206.html, http://www.oricon.co.jp/news/2089932/full/, http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2017/03/16/kiji/20170316s00041000204000c.html, http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2017/03/16/kiji/20170316s00041000239000c.html, http://www.nikkansports.com/entertainment/news/1793096.html, http://www.nikkansports.com/entertainment/news/1793095.html, http://www.oricon.co.jp/news/2076884/full/, http://www.sanspo.com/geino/news/20170131/geo17013105030022-n1.html, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=渡瀬恒彦&oldid=79971337, 本人曰く「昔は2クールが多かった。そうすると、最後まで脚本ができてないでしょう?当時はそれが嫌だったのを覚えている。後から思ったほど面白くならなかったなということもあった」, 2015年まで計54作放映された『十津川警部』シリーズについて、当時のプロデューサー森下和清が渡瀬を「役者でありながらスタッフでもあった」と話す。現場では演出を仕切ることもあり、台本にもどんどん口を出した。スタッフをかわいがる一方、手を抜く人に対しては監督であっても言うことを聞かなかった。森下は「十津川を『自分の根幹』と言って大切にしていた。役というより、恒さんそのものだった」とコメントしている, 同作品スタート10年目でインタビューに応えている。その際、長く渡瀬の持ち役のひとつになった「十津川警部」と比較して『十津川は相手の反応は関係なく、直球を投げる。おみやさんは相手とのやりとりの中で, スタート当初から撮影場所も舞台も京都だったが、2011年の第8シリーズからはゲストの職業も和傘職人や桜守などより京都にこだわるようになり、京都をよく知る渡瀬が脚本中にあった「ベージュ色」という台詞を「, 当時日課の散歩でも役作りのため落語を聞いていたが、1時間くらいで拒否反応が出る苦労を明かし「自分は落語とは程遠いところにおりました。しゃれとか、粋などとは無縁の生き方しかできませんので。落語も全く知らず、今は“落語が分かる気質”を演じることに七転八倒しています, 9係まではリーダーシップあふれる刑事役が多かったが、「部下と距離を置き自分から捜査しないと思われ、人を使う」役柄は9係が初。2006年スタート当初は「実はこんなに出番の少ないドラマは、今までないんですよ。戦場に出ないでもいい勝ち方ってないのかな(笑)。やる限りは勝たないとね。どうやってみんなに働いてもらうかな, スタート9年目当時、印象深い出来事として羽田美智子が「以前みんなで飲んだ時、渡瀬さんが『1人でも欠けたら、この作品は終わりにする』とおっしゃったんです」と語っていた, 2008年、錦織の親戚筋から「石原プロモーション」渡宛てに簡単な家系図を添えて手紙が届いた。当時全く知らず驚いた渡は渡瀬にも連絡を取ったが、渡瀬も全く知らなかった, 早稲田大学はドイツ語文法1単位取れず抹籍扱いになった(2002年『徹子の部屋』では自身の早稲田大学抹籍証明書をテレビで披露した), 息子が早稲田大学在籍時に大学側から「卒業生の先輩」として講演を依頼された。しかし、渡瀬はドイツ語の文法の単位が取れず卒業見込みのまま就職した自覚があったため、大学側に確認の問い合わせたところ「抹籍証明書」が戻ってきた, 就職してからも3年間、あわせて7年間は大学に授業料を払っている。しかし、もう1年間は払わなかった。大学側からは創立100周年記念時計を送られきて「大学卒業したのかな」という認識があった。当時渡瀬は見込みが甘かったことを認めている, 「キネマ旬報」1982年10月下旬号で、「南極物語」の撮影を終えた当時の渡瀬をインタビューした映画評論家・野村正昭によれば映画の話になると「ええ」「そうですね」の連続で、全く話が弾まないがタロとジロを含めた犬の話になると「こんなつまらない話してもいいのかなぁ」といいながら、時間を遥かにオーバーしても話が止まらないくらいの「犬好き」だった, 井ノ原快彦に1度家族写真を見せ、その際「良い写真は1時間ほどレンズ越しで家族を見つめていたら良い写真がとれる」と話していた。, 自分の子供は芸能人にさせたくなかったという。渡瀬曰く「何しろ、この仕事は努力の方向性がわからない。野球なら素振りを100回より1000回やれば上達するかもしれないけど、セリフの練習がそうなるとは限りません」, 読書好き、本をゆっくり読む時間が好きだった。「映画化、ドラマ化できるかな?」と思いながら頭の中でキャスティングして楽しんでいた, デビュー直後に語った「スターに学問はいらない。映画は肉体労働だ」という哲学を貫き、俳優としての地位を築いた。劇団で修行したわけでないからと演技論を展開させることもなかった。事あるごとに「僕は脱サラ俳優だから」と口にしていた, 渡瀬と共演経験がある荒木一郎によれば「渡瀬は本気でやるだけだからね。芝居っていうことより。土の中に埋まるなら、ほんとに土の中に埋まるし、酒飲んで吐くシーンなら自分でほんとに一所懸命飲んでゲーゲー吐く。芝居っていうことよりもそれをいかにほんとにやるか、みたいな奴, 『タクシードライバーの推理日誌』、『警視庁捜査一課9係』等でプロデューサーとして渡瀬と仕事をしたテレビ朝日松本基弘は「最初の印象は怖かった。でも、それは仕事に対して真摯な姿勢で挑む理不尽な指示に対してとかスタッフに緊張感が無くなっているときに怒るというものだった。とにかく仕事が好きな方でした。僕も様々な企画を持ち込んで、たくさんご一緒させて頂いた。もちろん何でもいいわけではなくて、ご自身がしっかり内容を吟味して決められるので、こちらもしっかりとした企画を持っていきます。脚本に対するアイディアも的確ですし、そういった意味ではプロデューサー的な視点を持っている人でした。本当にテレビ朝日にとっても、自分にとっても宝物のような存在だったんです, 2014年当時のインタビューでは「この人をこういう役で使ったら面白い」と考える専門家(プロデューサー)がいるから自分ではあまり考えません。でも、昔似たような役柄をやっていたから安全パイでキャスティングされることが昨今は多いため、自分の中で固まりかけているイメージを、別の角度から突っついて乗らせてくれるプロデューサーはいいですね, ベテランのスタッフや共演者には「恒さん」と親しまれ、何度も出演したテレビ朝日系『徹子の部屋』のように慣れた相手には「意外なエピソード」も明かしたが、通常の取材では「小難しい質問」になると顔をこわばらせてしまうところがあった, 「(デビューして)何年経っても、撮影の前夜というのは心地良いものではないですよ..」ドラマでも映画でも撮影初日の前夜は期待や不安で眠れない日があった, 「無類の酒好きなのに、忘年会などどこからも声がかからないから自分たちで飲み会をやろう」というのが結成のきっかけだった, 共有できた時間は短かったのに、どうして気になる存在だったのかを考えて、渡瀬は自らこう答える。「私は成田三樹夫さんのファンだったのです。古武士を思わせる風貌と失われつつある日本人の原点を持っていた成田三樹夫さんに魅了されてしまった一ファンだったのです。先輩として見たこともなく、同業者として見たこともなく、いつもファンという立場で、成田三樹夫さんのことを見ていたのです」, 永井が付き人になった当時、周囲の人たちは渡瀬を「丸くなった」と評していたが安岡力也から『お前、恒さんを怒らせちゃダメだぞ。俺がどれだけ怖い思いをしたか知ってるか?』と脅された, 渡瀬の付き人になるにあたり、先輩の付き人から申し送られたことは「渡瀬がプロデューサーにキレそうになったら、先に殴られて阻止しろ」, 1970年代アウトロー映画で渡瀬の飛躍を支えた盟友の中島貞夫は、2011年渋谷シネマヴェーラで行われた東映60周年記念のトークショーで渡瀬と共演した。企画の段階から「監督、なんかやるんだって?」と何度も聞いてきた, 「私よりずっと若い渡瀬さんが亡くなったことにショックを受けてます。来月ドラマでご一緒するはずでした。『おはようございます』ではなく『お帰りなさい』と言うつもりでしたのに『さようなら』になるとは…。十津川シリーズの五十四本は忘れられない財産です。お世話になりました, 「『十津川警部シリーズ』などで、25年間、あちこちの断崖絶壁で、その土地の美味しいお料理をご馳走になり、いろんなお話を伺わせていただき、心から尊敬申し上げておりました。突然のことに、悲しみが深すぎて、気の利いたお別れの言葉も見つからず申し訳ございません…, 「まだ信じていません。僕にとっても大きな大きな方。『くじけるなよ』って何度も肩をぐっと握ってくださった。暖かくなったらまたご一緒させていただいて撮影に入りたい」, 「TVで見た日本アカデミー賞の中継と記憶している。候補者一人一人のインタビューで今の気分を聞かれ「(賞を)取りたいに決まってるでしょ」と答えたその人を凄く格好いいと小学生の僕は思った。何度もご一緒したのにそれを言えなかったのが悔やまれる。渡瀬さんの背中は永遠に遠い, 渡瀬のクランクアップで桂吉弥と貫地谷しほりが名残惜しんでいると「はよ(次の準備)せえ」と叱った。後に理由を聞くと、渡瀬さんは「スタッフさんはこの後、セット替えもある、今(吉弥らが)着ている衣装のアイロンがけとかたくさん、やることはあるんだ」と話したという。スタッフを思い、共演者を叱る「優しさ」と「厳しさ」を吉弥は渡瀬から教わった, ある日、桂吉弥は渡瀬が収録後のカメラテストを確認してないことに気づき、渡瀬へ質問すると「(東映時代の若き日)いきがっていたのか、今のは気に食わないと10回撮り直していた」と振り返り、話し始めた。「その後、監督に呼ばれて、試写室で自分がNGを告げた場面だけを流された。自分が何でNG出したのか、分からん場面ばかりで恥ずかしく、それから監督が『OK』と言えば信じることにした」と教えてくれた, 当時渡瀬から「お前は演技はヘタだけど、飯の食い方はいい!きれいに食う!」と大きな笑顔で褒められた, 当時、土屋が芸能界入りを志すきっかけになった『セーラー服と機関銃』に出演していた渡瀬へ憧れの作品だった気持ちをぶつけた。すると、渡瀬は当時の貴重なエピソードや薬師丸ひろ子の様子などを詳しく土屋に話して聞かせ、感激した土屋は台本の隅にたくさんメモをした, 渡瀬は現場でどうあるべきか全てを教えてくださった巨星。「お前、スタッフは名前で覚えろよ」とか、あるシーンの芝居で悩んでいると「お前そんなに考えて疲れない?」と優しく言ってくれたり、「お前どっちでやるんだ?!早く決めろ!」と叱咤してくれたりした。数年経った頃「あいつも色々、考えてるからよ。俺が考えたラストシーン、高嶋に、まず読ませてやってくれよ」とプロデューサーに言ってくれた時は嬉しかった。とにかく厳しく優しく、現場で台本を持たない、常にそのシーンをどうやったら面白くなるかを考え続けた方でした, 「渡瀬さんが撮影現場に入ると、そのプロ意識の高さによって良い意味でスタッフ・キャストに緊張感がみなぎり、段取りや演技などがより良くなりました。常に仕事に厳しく、芝居はピカイチでした」, 「山岳救助隊シリーズ」の醍醐味は、ラストの山頂でのシーン。森田によれば「渡瀬さんのせりふが少なくても、そのシーンを渡瀬さんが全て持って行ってしまうのが印象的でした。それほどの存在感と説得力がありました」, 思い出深いエピソードとして「映画でスタントマンなしでアクションシーンを撮るという渡瀬さんの噂通り、かなり標高の高い山の上にもざくざくと進み撮影に臨んでいました。天気の変わりやすい山頂の撮影で、撮影シーンの順番が目まぐるしく変更になっても、素早い対応でこなされていました。撮影の合間には、映画時代の驚くようなお話や、南極など世界中の極地での撮影エピソードなど興味深いお話をたくさん聞かせていただきました」, 「京都の撮影所ではよくお会いし、ダンディーと鋭さが同居している魅力的な大先輩として拝見していました。共演した際も、暖かく厳しい目で僕の芝居を受け止めてくださり、嬉しかったことを思い出します, 中江はTwitterで「ご一緒した際、ご自身を鍋将軍と称してすき焼きをふるまってくださったことが思い出深いです。優しくてかっこいい『お父さん』でした, 安達は出演ドラマ会見場で「子供の頃でしたけれど、あいさつの仕方や食事の仕方など人としての基本的なことを教えていただきました。大人になってからも、食事をする機会などで渡瀬さんに言っていただいたことを思い出します, 草刈は所属事務所を通じてコメントを発表。「役者として、男として、人として、格好良かった。僕の目標でした。残念です」, 羽田美智子が3月16日所属事務所を通じてコメントを発表、あわせて3月21日ブログを更新。渡瀬の訃報が報道された3月16日撮影が中止され、吹越満の発案で小さなお店にキャストが集まって肩を寄せ合いたくさん話をした様子が紹介, 「長年ともに過ごさせていただいた『9係』の現場で、渡瀬さんのいすを見詰めながら戻っていらっしゃることを信じて、待ちわびていました。『渡瀬さんの不在はやっぱり寂しいです』と手紙を書こうとしていた矢先の突然の訃報。信じがたいです。たくさんお話したいことがあったのに、、、」, 天の花と実 (1977年9月12日~1977年12月26日、ANN、ポーラ名作劇場), 殺人の棋譜 (1978年4月22日~1978年5月20日、フジテレビ、ゴールデンドラマシリーズ), 南十字星 コルネリアお雪異聞 わたしの山田長政 (1978年12月1日、朝日放送、スペシャルドラマ), 悪の紋章 (1979年1月20日~1979年2月24日、フジテレビ、ゴールデンドラマシリーズ), 結婚のとき (1979年1月24日~1979年4月4日、フジテレビ、平岩弓枝ドラマシリーズ), 傘次郎・新子捕物日記 夫婦河童(1981年6月26日、フジテレビ、時代劇スペシャル) - 主演・坂根傘次郎 役, 少年はどこに消えた (1981年9月10日、YTV、木曜ゴールデンドラマ) -主演, 主夫物語 (1986年6月23日~1986年7月18日、NHK、銀河テレビ小説) - 主演, 夏が来れば思い出す ダウンタウン・ヒーローズ (1988年8月9日、ANN、火曜スーパーワイド), 卒業写真 (1997年8月30日、日本テレビ、山口放送45周年記念ドラマ) - 志村峰和 役, 猟犬探偵・竜門卓 セント・メリーのリボン (1999年2月26日、フジテレビ、金曜エンタテイメント 春のドラマスペシャル) - 主演・竜門卓 役, 苦い夜 (1999年6月29日、日本テレビ、火曜サスペンス劇場) - -主演・相沢達夫 役, 旅立つ人と (1999年10月29日、フジテレビ、山田太一脚本、金曜エンタテイメント ドラマスペシャル) - 沢木良成 役, 湯けむり殺人案内 なんにも専務の名推理(2003年1月) - 主演・野苔由美夫 役, 北アルプス山岳救助隊・紫門一鬼1 北アルプス穂高連峰殺人事件(2001年3月7日), 北アルプス山岳救助隊・紫門一鬼2 北アルプス白馬連峰殺人山行(2001年8月29日), 北アルプス山岳救助隊・紫門一鬼8 白馬八方尾根雪どけの叫び(2006年11月1日), 北アルプス山岳救助隊・紫門一鬼9 白馬山岳ツアー天空の密室殺人(2007年7月18日), 北アルプス山岳救助隊・紫門一鬼10 白馬・唐松岳殺人ルート(2008年3月12日), 北アルプス山岳救助隊・紫門一鬼11 谷川岳〜白馬岳〜常念岳 謎の殺人メッセージ(2009年1月14日), 新・世直し公務員 ザ・公証人 (2015年3月23日、本作からタイトルリニューアル), 獄窓記 (2005年4月20日、TBS、水曜プレミア 実録ドラマ特別企画) - 佐藤 役, 虚貌 強盗放火殺人犯の消された15年 (2005年7月7日、テレビ朝日、サスペンス特別企画)- 主演・滝中守年 役, BS-TBS開局10周年記念番組「プレミアム6 西村京太郎ミステリー紀行〜十津川警部が見た風景〜」(2010年2月28日、.

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